「ありがとう」と「すみません」のあいだで
― インバウンドの風と、心をつなぐ言葉たち ―
国際色あふれる街を歩きながら
ここ最近、どこかインターナショナルな風を感じたくて――僕は都内の街をよく散歩しています。
表参道、銀座、六本木。
お気に入りのエリアには、インバウンド需要の影響もあって世界各国から訪れる人たちでにぎわっています。そんな街の空気を吸っていると、まるで“自分が他の国に迷い込んだような感覚”になることがあるんです。
不思議と心が軽くなって、ちょっと旅人になったような自由さも感じたりして。
ふと、やさしさにふれる瞬間
歩いていると、海外の方々が仲間同士で笑い合いながら通りを歩いていたり、写真を撮り合っていたり。
その様子を見ていると、なぜか僕まで元気をもらえたりします。
一方で、同じ空間にいる日本人たちはこの街が“日常”である分だけ、どこか淡々としていて、感情の動きが控えめに見えることもあります。
そんな中、道ですれ違った海外の方と目が合ったとき、ふいににっこり微笑まれたことがあって――
その一瞬が、僕の中に強く残ったんです。
「こんなふうに、優しさって届くんだな」って。
「ありがとう」か「すみません」か?
さらに、ある場面でもうひとつ気づいたことがありました。
目の前を歩いていた海外の方が、物を落としたのです。僕はそれを拾って、声をかけて手渡しました。そのとき返ってきた言葉は、
「Oh, thank you!!」
あの自然で明るい“ありがとう”に、僕の心もふわっとあたたかくなったんです。
その瞬間、ふと考えました。もし僕が反対の立場で同じことが起きていたら――
「ありがとう」じゃなく「すみません」が返ってきていたかもしれない。
どちらの言葉にも、感謝と礼儀の心はある。
だけど、「ありがとう」が持つ“ポジティブな響き”には、相手に喜んでもらえることをした実感が、ちゃんと残るんですよね。
言葉の選び方は、生き方をつくる
これは、僕のあくまで個人的な考え方です。
何かをしてもらったときに「ありがとう」と伝える人は、日常の中に小さな幸せを見つけられる人なんじゃないかなと思うんです。
「すみません」と言ってしまう場面も、きっと日本人ならではの奥ゆかしさや、“気遣い”の文化があるからこそ。
でも――「ありがとう」が口ぐせになると、人生って、ちょっとずつ温度が上がっていく。その場を明るくして、言葉を交わした相手の心にも、やわらかい余韻を残していく。
そして、私たちの潜在意識には
“どんな言葉をよく使うか”がちゃんと記録されていく。
だったら、もっと「ありがとう」で世界を染めていけたらいいなと、僕は思うんです。
誰かが何かをしてくれたとき、あなたは何と返していますか?
「ありがとう」でも、「すみません」でも、どちらでもいいのです。
でも、もし迷ったときは、一度だけでも「ありがとう」を選んでみてほしいです。
それがきっと、誰かとの距離を1ミリ近づけてくれるし、何より自分自身の心にも、やさしい風が吹いてくれると僕は思っています。


