僕は、泣くことで生きてきた 〜涙が通った跡は、心の温もりを残してくれる 〜

感情が動いたとき、自然と涙が出ていた

僕は昔から、よく泣く人間でした。

嬉しいとき、悔しいとき、寂しいとき、誰かのやさしさにふれたとき。
気持ちが動いたその瞬間に、自然と涙がこぼれていました。

それは、自分を抑えられなかったからではありません。
むしろ、感情をちゃんと感じていたからこそ、涙というかたちになっていたのだと思います。

泣いたあと、よくこう感じていました。
「涙が通った頬が、ほんのりあたたかい」
それは、悲しみの名残ではなくて――自分の心がたしかにそこにあったという、温もりの証のようなものでした。

「泣き虫だね」と言われたことも、たくさんある

これまでの人生の中で、「すぐ泣くよね」「感情的だね」と言われたことも、何度もありました。
時には「泣くのは恥ずかしいこと」だと感じたこともありました。
でも、それでも私は、泣くことをやめようとは思いませんでした。

なぜなら、泣くことをやめたら、自分の心をごまかしてしまいそうだったからです。

人が笑うときに「いいね」と言うように、人が泣くときにも「ちゃんと感じてるね」と言える世界であってほしい。

そんな想いが、いつの間にか自分の中に根づいていたのかもしれません。

涙には、それぞれ違う“音”があると思う

涙には、理由があります。

悔しさから流れる涙。
誰かの言葉にふれたときの涙。
自分のことを初めて認められたときの涙。

どれも、同じように見えて、違う“音”を持っていると私は思います。
言葉にできない気持ちたちが、涙というかたちでようやく姿をもって、この世界に出てくる。

それは、心がちゃんと生きている証拠だと、私は信じています。
そして、泣いたあとの私は、いつも少しだけ軽くなっています。

涙を流すことで、心のどこかに詰まっていたものが、そっとほどけていくからです。

涙は、心があたたかい場所から生まれてくる

あるときふと思いました。
「涙が通った頬があたたかいのは、心に温度があるからなんだ」
涙は、心が冷たいから流れるのではありません。

心があたたかいからこそ、動き、あふれ出すものなのだと思います。

泣くことは、決して弱さではありません。
自分の気持ちをちゃんと感じ取っている、という強さです。

私は、これからも泣く自分を肯定したい。
その涙が誰かの心にも伝わって、少しでも感情にふれてもいいんだという許しを届けられたら――

それはきっと、涙がつないでくれたあたたかい奇跡だと思います。

さいごに

【あなたは、最近いつ、泣きましたか?】

もしかしたら今、泣けない自分を責めているかもしれません。
あるいは、涙があふれて止まらない日があるかもしれません。

でもそのすべてが、ちゃんと生きている証拠です。
あなたの心には、確かに温度がある。
涙は、そのあたたかさがかたちになったものなのです。

どうか、その涙を恥ずかしいと思わずに。その先にある、やさしさや希望に、目を向けてあげてくださいね。

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