都合のいい人の苦悩
― 優しさの仮面を脱いだその先に ―
「Kentaさんならできると思って」その言葉が、うれしかった
昔の僕は、誰かに期待されることが好きでした。
「Kentaさんならできると思って」
そう言われると、自分が“選ばれた”ような気がして。どんなに忙しくても、やったことがなくても「はい、やります!」と即答してしまう自分がいました。気づけば、周囲から頼まれることはどんどん増えていきました。
•描いたこともないのにキャラクターデザインを頼まれ
•花見で数十名分のお弁当を担当し
•イベントのブースで案内役を務め
•ラジオ番組にまで出演することに…
いつの間にか、僕は“なんでも屋”みたいになっていたんです。でもその裏で、自分の時間や感情は、少しずつすり減っていっていました。
「さすがにそれは…」初めて心がざわついた瞬間
ある日、いつものようにその方からメッセージが届きました。
「Kentaくん、一緒にビジネスやらない?」
一瞬、何かが胸に引っかかりました。いつもなら「やりましょうか?」と答えていたはずなのに、その時だけは、なぜか心の奥がざわついたのです。
「それって、本当に自分がやりたいこと…?」「このまま進んだら、もっと苦しくなりそう…」悩んだ末に、僕は思い切ってこう伝えました。
「すみません、今回は遠慮させてください」
その返事を最後に――その人は、まるで“電源を落としたように”僕との関係を切りました。あれほど頼ってくれていたはずなのに、まるで今までのすべてが“なかったこと”のように。正直、寂しさもありました。でも、それと同時に、静かな解放感もありました。
「優しさ」と「都合の良さ」の境界線
その出来事があってから、僕は考え続けました。
「自分がしていた“優しさ”は、本当に優しさだったのか?」「それは、ただ“嫌われたくなかった”だけじゃないのか?」
気づいてしまったのです。
「優しさ」と「都合の良さ」は、驚くほど近い場所にある。相手のために何かをすることは、もちろん素敵なこと。でも、それが“自分を犠牲にしてでも応える”行為になっていたとしたら――それはもう、誰かのためではなく、自分を保つための行動になってしまっていたのかもしれません。僕は“いい人”でいようとするあまり、「NO」と言えない自分を演じ続けていたのです。
ご縁が切れるときは、ステージが変わる合図
あの人とのご縁は、静かに終わりました。でも今なら、あの離別にも意味があったと、心から思えます。
ご縁が切れるときって、自分の“ステージ”が変わるサインなのかもしれません。
もし、あの時も無理をして「やります」と答えていたら――僕はきっと今でも、「誰かの期待の中だけで生きる自分」にとらわれ続けていたでしょう。
「自分の本音を選ぶこと」「心がざわつくものには、“断る”という選択肢を持つこと」
それは、怖くもありましたが、何よりも自分を大切にするために必要な決断でした。
優しさを、誇れるままに
今、僕は思います。
本当に信頼される人でいたいのなら、“都合のいい人”になる必要なんて、どこにもない。
笑顔で手を差し伸べることも、誰かを支えることも、僕は好きです。でもそれは、「応える価値のある関係性」だけに向けたい。そう心から思えるようになったのは、かつて“なんでも屋”だった僕自身のおかげです。
もし今、「断れない」「頼られるけど苦しい」そんな思いを抱えているとしたら、一度、こう問いかけてみてください。
その関係性は、あなたの“優しさ”を大切にしてくれていますか?
それとも、あなたが“都合よく動いてくれる”ことに依存していませんか?
優しさは、誇れるものです。でもそれを守るには、境界線を引く勇気も必要です。あなたの優しさが、本当に大切な人に届くように――まずは、自分の心の声を信じてあげてくださいね。
