心の奥に流れていたメロディー

― 歌が教えてくれた、出会いと“縁”のかたち ―

ふとしたときに、心が歌い出す

僕にはちょっと変わった、いや、面白いと言われるかもしれない「感情の表現の仕方」があります。
それは、“歌”です。
普段は気づかないけれど、何か心に引っかかりがあるとき、ふとした瞬間に口ずさんでいるメロディがあります。

先日もそうでした。
無意識のうちに口からこぼれたのは、中島みゆきさんの『糸』

「なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない」
その一節が、心の奥をそっと撫でたように感じたんです。

人生は、縦の糸と横の糸でできている

「糸」の中に出てくるこの言葉も、ふと自分に置き換えてみたんです。
「縦の糸はあなた 横の糸は私」

僕にとって、縦の糸は「過去」や「経験」、そして横の糸は「出会い」や「想い」なんじゃないかって。
縦と横、違う方向から紡がれるものが重なって、人生という大きな布が、少しずつ織り上げられていく。

一人では作れない。誰かとの関係、時間、記憶、感情――
すべてが糸となって、僕の人生という“フィールド”を創っているのだと気づきました。

糸の太さ、形、それぞれの縁のかたち

でもね、糸って全部が同じじゃないんですよね。
芯のある、絶対に切れないような強い糸もあれば、ちょっと引っ張ったらすぐに切れてしまいそうな細い糸もある。
綻びができてしまったり、途中で途切れてしまったりするものもある。でもそれでも、それぞれの糸が交差しながら…

“僕にしかない布”が少しずつできていくんです。
きっとその布は、きれいな形なんかしていません。デコボコだったり、色もバラバラだったり、継ぎはぎだったり。
だけど、それが「僕の人生」なんだと思います。

むしろ、全てが同じ糸で作られた人生の布なんて、味気なくて、面白みに欠けてしまう気がするんです。

「逢うべき糸に出逢えること」

「糸」のラストのこの一節。
「逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます」この言葉が、僕の心に静かに響きました。

たとえ一瞬のすれ違いだったとしても、その時にちゃんと結ばれた“縁”があるのなら、それは人生の中にしっかり織り込まれていく。
それが細くても、時に不器用でも、「出逢えた」という事実こそが、“仕合わせ”なのかもしれない。

なんだか、超詩的な語りになってしまいました。笑
でも、こんな風に歌から生まれる感情を、自分の言葉で紡いでいく時間も、今の僕にとってはすごく大切なものだと感じています。

これを読んでくれたあなたの中にも、ふと口ずさんでしまう“あの歌”があったら――
きっとそれは、心の奥からのメッセージなのかもしれません。

今日も、自分という布を大切に織りながら、生きていきましょう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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