「誰の荷物か分からないもの」まで背負っていませんか? 〜心と身体を軽くする“降ろす勇気”の話

なんで、こんなに肩が重たいんだろう

なんだかずっと、肩が重たいことがありました。
首のあたりも詰まった感じがして、なんとなく息がしづらい日もあったり、肩を回したり、ストレッチをしてみたり、マッサージにも行ってみました。その時は少し楽になるけれど、またすぐに“ズシン”と戻ってく流のです。

「姿勢が悪いのかな」
「仕事の疲れかな」
そうやって身体のことばかりを考えていたけれど――

ある日、ふとこう思ったんです。
もしかして…“背負わなくていいもの”まで背負ってたのかもしれない、って。

無意識に、いろんなものを背負っていた

思い返してみれば、僕はずっといろんなものを背負ってきました。

  • 周りの期待に応えようとする責任感
  • 空気を壊さないようにする気遣い
  • 誰かが困っていれば、自然と動いてしまう優しさ
  • 失敗しないようにと頑張りすぎる完璧主義

どれも“いいこと”のように見えるけれど、気づけばそのひとつひとつが、自分の肩に積み重なっていたんです。
そして本当は、「助けて」って言いたいときも、「任せて」って笑ってしまう自分がいました。

誰かのためにがんばることも大事だけど、その前に――
自分が潰れてしまったら、意味がないということに、ようやく気づきました。

“降ろす勇気”を持つことも、大人の強さ

僕たちは、抱え込むことを「がんばっている証」と思いがちです。でも本当は、“手放すこと”にも、同じくらいの勇気がいる。

「無理してやらなくてもいいよ」
「誰かに頼ってもいいんだよ」
「いまは自分を優先しても大丈夫」

そうやって、自分自身に声をかけてみたとき、ずっと力が入っていた肩が、すこしだけゆるんだ気がしました。

誰かに助けてもらうこと。
弱さを見せること。
期待に応えられない日があること。

それらは、決して“ダメな自分”ではなくて、ちゃんと人間らしく生きている証拠なんだと、今なら思えます。

“誰の荷物か分からないもの”は、もう降ろしていい

すべての荷物が、自分のものとは限らないのです。

他人の期待、職場の空気、過去のクセ――

私たちは知らないうちに、“誰かのもの”まで自分のリュックに詰め込んでしまいます。
でも、その荷物を抱えたままでは、どんなに足を前に出しても、疲れてしまいます。

だから僕は今、こう問いかけるようにしています。

「これって、本当に私が背負うべきもの?」
「それとも、“勝手に背負ってしまっただけ”のもの?」

そうやって、自分の心と肩に向き合っていくと、少しずつ背中が軽くなっていく気がします。

あなたが今、肩に乗せているものはなんですか?

肩こりや首の重さ――それは、身体からのただの疲労ではなく、「もう背負わなくていいよ」という心からのサインかもしれません。

あなたが今、何を抱えているのか。
それは本当に“あなたの責任”ですか?
それとも、いつの間にか“引き受けてしまっただけ”のものですか?

降ろすことで、はじめて見える景色があると僕は思っています!
軽やかに、心地よく歩けますように♪

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